【文化財講座】水戸八景講座

水戸八景の概要

「水戸八景」は,水戸藩の第9代藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)烈公(れっこう)が,天保(てんぽう)4年(1833年)に江戸小石川邸より水戸に下り,領内を巡視し藩内の景勝の地8箇所を選んで選定したものです。中国北宋(979年から1127年)の文人画家そうてき宋廸の選んだ「瀟湘(しょうしょう)八景」にならったもので,瀟湘八景では「江天の暮雪,瀟湘の夜雨,山市(さんし)の晴嵐,遠浦(えんぽ)の帰帆,煙寺(えんじ)の晩鐘,平沙(へいさ)の落雁,漁村の夕照,洞庭(どうてい)の秋月」の八箇所が選定されています。これらは特定の場所を選定したものではないといわれ,場所を特定する水戸八景など日本で用いられる「○○八景」とは少し違っています。

水戸八景の地には,翌天保5年に斉昭自筆の書を刻んだ名勝碑をそれぞれ建てました。いま残る八景の碑はいずれもこの当時のものです。碑の意匠は各碑毎に異なり,石の種類・形・文字の配置に工夫が見られます。文字も水戸八分(はっぷん)隷書(れいしょ)の一つと呼ばれる独特の書体が用いられているだけでなく,古典文字と呼ばれる装飾的な文字が用いられています。碑は台座や周囲の柵がないのが本来の姿ですが,多くの碑が石垣の台座にのせられたり,石柵で周りを囲われたりしているなど何らかの改修を受けています。

これらの碑を結んで一巡すると約30里,およそ110km(キロメートル)の道のりで,水戸藩士子弟の鍛錬のために徒歩によるこの八景めぐりが奨励されました。『水戸名勝誌』では「風流文雅の徒事でなく,武事を鍛練し,藩士弟の士気鼓舞のために,八景の地が藩士の健脚に命ずる遠距離にある」と指摘し,『水戸名勝記』では「当年八景を巡りて健脚を誇らんとするの藩士は,伴侶を結び行程を整へ,天明に先ちて草鞋を踏み,那珂川を渡って先づ青柳-太田-山寺-村松-水門-岩船-広浦-仙湖」と記されています。

漢詩「水戸八景」の読み下し

雪時嘗(かつ)て賞す仙湖の景

雨夜更に遊ぶ青柳の頭(ほとり)
山寺の晩鐘幽壑(ゆうがく)に響き

大田の落雁芳洲を渡る
霞光爛漫(かこうらんまん)たり岩舟の夕(ゆうべ)

月色玲瓏(れいろう)たり広浦の秋
遥(はる)かに望む村松晴嵐の後

水門(みなと)の帰帆高楼(こうろう)に映ず

コース

村松晴嵐-太田落雁-山晩鐘-青柳夜雨-仙湖暮雪-広浦秋月-巌船夕照-水門帆

村松晴嵐(むらまつのせいらん):東海村村松

水戸八分と謂われる独特の書体(八分,隷書)(平成18年6月6日撮影)

村松晴嵐の写真

村松虚空蔵尊裏手,大神宮西側の小高い砂丘の上に,「村松晴嵐」の碑があります。
碑は4文字を2つに割って,丸型の自然石に深く刻まれており,「村」の字に古典文字を当てています。
水戸八景を定めた烈公よりも先に,光圀(義公)がこの地を訪ねて村松皇大神宮に参拝しましたが,その時に義公は「村松の梢に波の音きいて夜半の嵐に夢も結ばず」と詠んでいます。
松吹く風の音は義・烈両公時代とは変わりませんが,現在は原子力施設の立地により周辺の光景は大きく変わりました。
烈公がこの地を選んだ頃は,素朴な田舎で村松虚空蔵尊の門前町のにぎわいが見られる程度であったことでしょう。

真砂地に雪の波かとみるまてに
 塩霧はれて吹く嵐かな 烈公

太田落雁(おおたのらくがん):常陸太田市栄町

しばし見とれるほど素晴らしい書体です。(平成18年6月6日撮影)

太田落雁の写真

常陸太田市街地東側の崖の中腹に,「太田落雁」の碑があります。
近年行われた急傾斜地対策事業とともに全面的に周辺整備が行われました。
眼下にはかつて「真弓千石」と呼ばれる水田地帯が真弓(まゆみ)山麓の方に広がっていましたが,現在では開発が進み,新しい市街地が形成されています。
彼方には寒水石(かんすいせき・・大理石)の産地である真弓山等阿武隈の山々が連なり,眺望も優れています。
青田の初夏,実り田の秋,刈田の落雁等の風趣がありますが,雁の群れはあまり見られなくなってしまいました。

さして行く越路の雁の越えかねて
 太田のおも面にしはしやすらふ 烈公

山寺晩鐘(やまでらのばんしょう):常陸太田市稲木

石碑は前にやや傾いています。(平成18年6月6日撮影)

山寺晩鐘の写真

県立西山研修所構内東南の高台の端に,「山寺晩鐘」の碑があります。
寒水石に四文字が深々と刻み込まれた碑面は,東南の方向を向いています。この地は久昌寺(きゅうしょうじ)の付随施設として設けられた学寮の三昧堂檀林(さんまいどうだんりん)跡地です。
構内の北方入口近くには横山大観の揮毫による画僧雪村(せっそん)の碑があり,赤松の樹間を通して久昌寺の甍(いらか)や市街地が望めます。
往時には佐竹寺や久昌寺の打ち鳴らす鐘の音が,林に余韻を残して響きわたったことでしょう。
なお,久昌寺は現在北側に隣接して存在しますが,現在地に所在した末寺のひとつの蓮華寺と明治3年に合併して現在に至っています。旧の久昌寺跡地は西方約1キロメートルあり,現在は久昌寺遺蹟という碑が建てられ残されています。

つくつくと聞につけても山寺の
 しもよ霜夜の鐘の音そ淋しき 烈公

青柳夜雨(あおやぎのやう):水戸市青柳町

脇から見ると面白い形をしています(平成18年6月6日撮影)

青柳夜雨の写真

那珂川の万代(よろずよ)橋の近くにシダレヤナギの大木が1本立っていて,ヤナギの根元に「青柳夜雨」の碑があります。「夜」の文字に古典文字を用い,4字を2列に割って独特の形状の石に刻まれています。
最近の洪水対策により那珂川の堤防も高くなって,往時の面影はありませんが,かつては那珂川をへだてて前方に,馬の背を思わせる水戸市街の台地が伸び,台地の左突端の水戸城,それに続く城下町などが碑の位置から望むことができました。
江戸時代には,この所に橋はなく,渡し舟に頼っており,往時は那珂川畔の夜の雨の風情を顧みることができたことでしょう。

夜さめに小舟くたせは夏陰の
 柳をわたる風の涼しさ 烈公

仙湖暮雪(せんこのぼせつ):水戸市常磐町

他の碑と比べると字も碑碣(ひけつ)もやや小さく質朴な感じがします。(平成18年6月6日撮影)

仙湖暮雪の写真

偕楽園の南崖の見晴広場から階段を下りた途中に「仙湖暮雪」の碑があります。「暮」の字に古典文字の「莫」という字を当てています。「仙湖」を「僊湖」としていますが,いずれも千波湖のことを表しています。
偕楽園から眺める千波湖の風景は美しく,観梅の探勝,萩と観月,いずれも千波湖の水辺風景があって引き立っています。「仙湖暮雪」は,雪の千波湖の夕景色を表現したもので,雪は年に数回しか降りませんが,雪景色はひときわきれいでしょう。
なお,碑は偕楽園開園(天保13年)以前に建てられているため,位置が当初の位置と異なる可能性があります。幕末と明治の博物館に所蔵されている偕楽園の図面には本碑が描かれています。

千重の波よりてはつつく山々を
 越すかとそみる雪の夕ぐれ 烈公

広浦秋月(ひろうらのしゅうげつ):茨城町下石崎

分かりやすくするため文字の部分を少し明るくしました(平成18年6月6日撮影)

広浦秋月の写真

涸沼(ひぬま)の北岸の湖面に突き出た砂洲の南側を広浦といい,広浦の砂洲の突端近くに「広浦秋月」の碑があります。この辺りから眺める涸沼の景色は,広大な水面と筑波山が望めてとても美しいものです。
広浦の湖水に映る秋の月は,昔から風雅な人々によって賞賛されてきました。天の橋立のように湖心へ向けて長くのびる岬,姿形の面白い松の並木が続き,その松林越しにぽっかりと上る月,その光が湖面に優しい光の陰を映し出す光景はすばらしいことでしょう。
碑の左には「保勝碑」があり,選定の経緯等が記されていますが,風化のため判読が一部困難になっています。

大空のかけをうつしてひろ浦の
 なみ間をわたる月そさやけき 烈公

巌船夕照(いわふねのゆうしょう):大洗町祝町

巌船夕照の写真

願入寺(がんにゅうじ)の奥,那珂川と涸沼川が合流する所の右岸に,「巌船夕照」(ゆうしょうまたはせきしょう)の碑があります。夕日に照らされる水面を眺めながら,しばし黙考するにふさわしい所です。涸沼川と水田の彼方にゆっくりと落ちていく夕陽を木の間越しに見ることができます。
碑から眺める対岸の那珂湊の景色は素晴らしく,い賓閣跡や幕末に大砲を造った那珂湊反射炉跡も見えます。往時は上り下りの船が那珂川を通り,にぎやかな港風景を見せていたことでしょう。
なお,ここからは水門帰帆を見通す事ができます。

筑波山あなたはくれて岩船に
 日影ぞ残る岸のもみち葉 烈公

水門帰帆(みなとのきはん):ひたちなか市和田町(昭和46年9月21日市指定)

堂々とした石碑です。左側には藤田東湖の詩碑があります。(平成18年6月6日撮影)

水門帰帆の写真

ひたちなか市役所那珂湊支所の近くに,「水門帰帆」の碑があります。碑のある高台からは,東に太平洋,南に鹿島灘,西に筑波山,遠くに日光の連山を眺望することができ,絶景の場所でありました。那珂川は,明治時代まで,碑の下,現在の海洋高校の辺りを流れており,白い帆の出船・入船を見降ろすことができました。碑は,もともと現在地よりも若干前方に所在しており,明治期と大正期に改修され現在に至っています。
碑は,高さ2.15m(メートル)幅1.25m(メートル)の大理石(寒水石)を使用し,碑文字は一列で「帆」の字に古文字を当てています。石工は那珂湊の大内石了と伝えられています。
2基の副碑があり,明治三十四年の『水門帰帆修繕之碑』と昭和十三年建碑の藤田東湖の七言絶句「遠望誰弁鳥邪雲・但見霏凝映落暉・一陣東風水門夕・吹成千片布帆帰」です。

雲のさかひしられぬ沖に真帆上て
 みなとの方によするつり舟 烈公

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更新日:2017年02月01日