【文化財講座】平成25年度-幕末水戸藩の国防をめぐる

平成25年度【文化財講座】幕末水戸藩の国防をめぐる

平成25年5月30日(木曜日),文化財講座「幕末水戸藩の国防をめぐる」を市主催により開催しました。

たくさんの応募の中から抽選で選ばれた参加者30名と幕末の水戸藩にゆかりのある展示資料・史跡名勝を見学しました。

当日の日程

日立市郷土博物館-助川海防城跡-観濤所-和田台場跡 水門帰帆-那珂湊反射炉跡-水車場跡

幕末の水戸藩 斉昭の政策

 江戸時代,3代将軍徳川家光時代に完成したとされている幕府による鎖国政策のなか,海岸に面する全国の藩に遠見(とおみ)番所(異国船番所)を設置し警戒するように幕府から命令が出されていました。そのようななか1739年にロシア船が陸奥,安房,伊豆の沿岸に出没したのをはじめ,1792年ロシア使節ラックスマンが通商を求め日本人漂流民をつれて蝦夷地(えぞち)に来航,1803年にはアメリカ船が貿易を求めて長崎に来航,1808年イギリスのフェートン号が長崎に侵入する事件(フェートン号事件)が起きるなど徐々に外国勢力が日本に接近するようになっていました。

 常陸の国(茨城県)の近海においても文化4年(1807)に異国船出没が記録されたのを初めとして,文政4年(1821)以降徐々にその数が増していきました。当時西洋諸国では鯨油(げいゆ)をとるため捕鯨が盛んに行われていました。大西洋の鯨の数が減ると,太平洋にまで進出しましたが,最も盛んな時期は日本における幕末でした。

 このような捕鯨船(ほげいせん)の中には,水や食料などを求め日本沿岸に接近する船もあり,庶民のなかには異国船に積極的に接し,外国人たちと物を交換したりして交流するものもいました。鎖国体制のなか,攘夷論(じょういろん)の旗頭ともいえる水戸藩にとって,領民のこうした脱法行為ともいえる状況は憂慮(ゆうりょ)するべきものととらえられていました。

 こうした状況のなか,文政12年(1829),徳川斉昭(とくがわなりあき)が第9代水戸藩主となり,強力に藩政改革を進めていくこととなります。

 当時水戸藩では窮乏(きゅうぼう)する藩財政のなか,藩政改革に消極的な門閥派(もんばつは)と呼ばれる重臣たちが藩政の中枢を担っていました。このため斉昭が藩主となるとまず手がけたのが人事の刷新でした。もともと重臣たちは8代藩主斉脩(なりのぶ)薨去(こうきょ)の後,家督相続問題で斉昭と対立関係にありました。彼らは11代将軍家斉の子を養子に迎え,幕府からの財政援助を考えていましたが,水戸藩の伝統に反すると,改革派の士族藤田東湖(ふじたとうこ)らが幕府に働きかけるなどして,ついには斉昭が第9代藩主となり,改革派の藤田東湖,会沢伯民正志斎(あいざわはくみんせいしさい),武田耕雲斎(こううんさい)ら下層士族からも人材を登用していきました。

 人事を刷新し改革への機運が高まると,質素倹約を奨励し,経界(けいかい)を正すとして検地を行い,税制を改革し,人材教育のための施設として藩校(はんこう)や郷校(ごうこう)の建設など,斉昭は次々と改革を実施していくこととなります。斉昭の改革によって建てられた最初の郷校は,那珂湊の敬業館(けいぎょうかん:後に文武館(ぶんぶかん)として改編される)でした。また,諸改革のなかでも,斉昭が最も力を入れたのが国防の問題でした。

 斉昭の考えとしては,異国はまず通商を求め,宗教を広げ,後に武力でもって国土を侵略してくるものであるとの認識がありました。このため斉昭の対外政策は,「攻めてくるはずの異国からの防衛」という考えから,軍事力の増強に主眼がおかれていったのでした。太平洋に面する水戸藩では海岸防備が重要な課題であり,必然的に防備を固めていくこととなります。

異国船のイラスト

文政6年6月9日の異国船(湊村)

祝町沖のイラスト

文政6年6月9日の異国船(祝町)

海防施設 遠見番所 海防陣屋 台場

 寛永15年(1638)の幕命により全国の海岸線に接する藩で遠見番所と呼ばれる異国船を監視する施設がつくられていきました。水戸藩では,正保元年(1644)に那珂湊,水木,磯原に遠見番所を設置しました。また水戸藩では,異国船警護のほか東回り廻船の監視なども行っていました。当初海岸警備は遠見番所にて海防農兵が担当しましたが,9代藩主斉昭の時代に藩士の役割とし,海防陣屋として強化されました。 また斉昭の時代には台場も多く築造され,海岸防備を強化していきました。

助川海防城

 天保7年(1836年)に家老の山野辺義観に築造させた,海防を目的とした城です。斉昭の藩士土着による海防政策の一環とも言われています。当時は一国一城令により城とは呼ばず,館などと呼称していました。本丸,二の丸,三の丸のほか鉄砲教練場,矢場,馬場 遠見番所など数々の施設がありました。助川海防城の下には,友部,大沼の2海防陣屋を統括し,さらにその下には川尻,初崎,河原子,久慈の4台場を管轄していました。

和田の台場及び遠見番所

 那珂川の河口に位置する和田の地は斉昭の天保期の改革で海防上極めて重要な土地であったため,天保7年津明神(つみょうじん)脇に急遽築造されたのが和田の台場です。当初上下二段構造とされており,下段の低台場付近には民家もあり海防上不向きな面があったため,低台場(ていだいば)を廃して安政3年(1856)津明神を現在地に移し,台場の改築がなされました。異国船に対して「那珂川をはさみ祝町向州台場と併せて左右から打ちかける」ことを想定していましたが,斉昭亡きあと,天狗派(改革派)と門閥派(諸生派)の対立が激化し,元治元年の藤田小四郎の筑波挙兵そして下館の砲撃戦に始まる最大の内乱「元治甲子の乱(げんじかっしのらん)」で使用されました。

 また,それまで夤賓閣(いひんかく)のあった台地の東端に設置されていた遠見番所は,和田の高台場が築造されると台場のほうに移されました。

和田の台場跡のイラスト

ひたちなか市指定文化財『常陸湊村町内別明細絵図』(所蔵:ひたちなか市教育委員会)

那珂湊反射炉跡(茨城県指定史跡)

 斉昭の海防政策の重要なものとして大砲製造があります。当初は水戸の神崎鋳砲所で青銅製の大砲を鋳造(ちゅうぞう)していましたが,材料入手が困難となり領内の寺院の鐘や仏具をことごとく接収するなどの無理が生じてきました。また,西洋諸国ではより安価で強力な 鉄製大砲が主流となっていましたので,オランダの技術書や先行して事業に成功している諸藩に学び,大島高任(おおしまたかとう)ら他藩の技術者を招聘(しょうへい)するなどして鉄製大砲鋳造のための反射炉作製事業が進められました。

 水戸藩が財政難の折,資金調達に苦心し数多の力を結集し安政2年(1855)と4年に一炉ずつ完成させた反射炉ですが,元治甲子の乱の際あとかたもなく破壊されました。現在の復元模型は,昭和12年,有志により建造創建当時の耐火煉瓦を使用し造られました。

反射炉跡のイラスト

ひたちなか市指定文化財『那珂湊反射炉飛田家資料』(所蔵:ひたちなか市教育委員会)

水車場跡(ひたちなか市指定史跡)

 那珂湊反射炉で鋳造(ちゅうぞう)された大砲は錐入(きりい)れ穿孔(せんこう)して砲道を確保しなければなりません。そこで水車の力でこれを行うために,反射炉西方約1.5km(キロメートル)のあたり柳沢村中丸川西岸に水車場を建設することになり,安政2年(1855)に竣工,翌年に完成しました。佐久間貞介の「反射炉日録抄」よると,一時間に一寸(約3cm(センチメートル))という錐入れ速度であったそうです。これも元治甲子の乱で焼失しました。

水車場模型の写真

水車場模型

石碑

 海防に力を注いだ斉昭ですが,水戸八景の選定や,濤の見どころを激賞して建碑するなどの文学的な史跡も残しています。今回はひたちなか市内から2か所の石碑「観濤所」(濤を見る景勝地の意味)と「水門帰帆」(水戸八景のひとつ)を訪ねます。

観濤所

 弘化元年にはすでに建碑されていたとも言われています。逸話として『とある水戸の彫金家が刀の鍔に彫った波の模様があまりに見事なので,斉昭が彫金家に想像で彫ったのかと尋ねたところ,平磯村清浄石あたりの波を実物写生をしたと答えた。斉昭は早速現地へ行ってみると,その景色の見事さを激賞され,観濤所と名付け自ら揮毫した文字を建碑させた』と言われています。(大内地山著「平磯町郷土史」より参照)

水門帰帆 

 帰帆は,夕暮れに一斉に港へと帰っていく船のすがたを楽しむ八景です。海辺の高所から夕焼けに染まる空と白い帆の対比が鑑賞のポイントになります。

 ひたちなか市役所那珂湊支所の近くに,「水門帰帆」の碑があります。碑のある高台からは,東に太平洋,南に鹿島灘,西に筑波山,遠くに日光の連山を眺望することができ,絶景の場所でありました。那珂川は明治時代まで,碑の下,現在の海洋高校の辺りを流れており,白い帆の出船・入船を見降ろすことができました。もともと碑は現在地よりも若干前方に所在しており,明治期と大正期に改修され現在に至っています。

 碑は,高さ2.15m(メートル),幅1.25m(メートル)の大理石(寒水石)を使用しています。石工は那珂湊の大内石了・石可と伝えられています。2基の副碑があり,明治34年の改修記念碑と昭和13年に建てられた藤田東湖の七言絶句の詩が刻んであります。

雲のさかひしられぬ沖に真帆上て

みなとの方によするつり舟 烈公

帰帆の写真

水門帰帆 

(注釈)講座の開催時期等は,ひたちなか市「市報」でお知らせしています。 

この記事に関するお問い合わせ先

文化財室
〒: 312-8501
茨城県ひたちなか市東石川2丁目10番1号
電話: 029-273-0111(内線)7307,7308
ファクス: 029-274-2430
文化財室へのお問い合わせ

更新日:2017年02月01日