県指定史跡

ページID1006210  更新日 2022年1月24日

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13.十五郎穴(横穴墓群)(じゅうごろうあな(よこあなぼぐん))古墳時代末期から奈良時代

写真:十五郎穴


十五郎穴は、古墳時代末期から奈良時代に、本郷川右岸の大地の崖面に露出する凝灰岩を掘り込んで築かれた集団墓で、いくつかに分かれて分布しています。そのうちの館出(たてだし)支群が昭和15年3月に県の史跡に指定されています。昭和51から55年にかけての指渋(さしぶ)支群の調査では119基の横穴墓が確認されたほか、平成26年度までの調査で計272基の横穴墓が確認されており、総数で300基を超える東日本最大級の横穴墓群と考えられています。横穴墓からはこれまでに大刀などの鉄製品のほか、須恵器(すえき:土器)や勾玉(まがたま)などの副葬品、人骨など様々なものが出土しており、平成23年には、正倉院所蔵の刀子に類似の「帯執(おびとり)金具のある刀子」が発見されました。

館出支群第32号墓出土品

14.那珂湊反射炉跡 附那珂湊反射炉資料25点(なかみなとはんしゃろあと つけたりなかみなとはんしゃろしりょう25てん)江戸時代末期

写真:反射炉跡


写真:反射炉完成図面


幕末になると那珂湊沖などに異国船が出没するようになり、水戸藩第九代藩主徳川斉昭公は国防の必要性を強く感じ、水戸藩では鉄製大砲の鋳造を計画しました。反射炉は、大砲鋳造に必要な大量の鉄を溶解する炉で、オランダの技術書や、先行して事業化した諸藩に学んで建設されました。反射炉の名称は火炎を炉体内部で反射させて熱を効率的に集める構造に由来します。安政元年(1854年)に着工、同2年と4年に1炉ずつ完成し、二十数門の大砲が鋳造されたといわれています。反射炉は、元治甲子(げんじかっし)の乱(1864年)で破壊されてしまいましたが、昭和12年、現在の復元模型が作られました。また、反射炉建設に力を発揮した飛田与七が残した資料も附として併せて指定を受けています。この他の反射炉関係資料としては「飛田家資料」が市指定歴史資料となっています。

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