【講座番号243】市毛歴史講座 -徳川家康の生涯-

ページID1008643  更新日 2023年2月20日

印刷大きな文字で印刷

イベントカテゴリ: 趣味・教養 講座・教室

このイベントは終了しました。

講座案内

徳川家康の生涯を史料を交えて学びます。

開催日

2022年10月19日(水曜日) 、11月16日(水曜日) 、12月21日(水曜日)
2023年1月18日(水曜日) 、2月15日(水曜日)

開催時間

午前10時 から 午前11時30分 まで

開催場所

市毛コミュニティセンター 集会室

対象

成人 23人

内容

講座内容(全5回)

10月19日(水曜日)誕生と青年期
11月16日(水曜日)織田信長・豊臣秀吉との関係
12月21日(水曜日)関ケ原から江戸幕府創立
1月18日(水曜日)大坂の陣と徳川政権の確立
2月15日(水曜日)子女と家康崇敬(東照大権現)への道

(注釈)講座の日程及び内容は、講師の都合などにより変更になる場合があります。

申込み締め切り日

申込みは終了しました。

費用

必要

参加費は500円です。初回に徴収します。

講師

永井 博

持ち物

筆記用具、飲み物

講座の様子

第1回 10月19日 実施

「誕生と青年期」をテーマに松平竹千代時代から徳川家康時代までを紐解いていきました。最初に当時の地図を見ながら、父方の松平氏・母方の水野氏の一族が、織田氏の領土と今川氏の領土とに挟まれた地域に分布していることを理解しました。幼少期での母との別れ、父との死別、織田氏の人質になったり、捕縛交換で今川氏の人質になった史実を学びました。1562年に織田信長の配下となり、翌年松平家康と改め、1566年三河国をほぼ統一、官位官職を要望し1588年には徳川氏と名のったことなどを学びました。最後にスライドで現地の写真や、過去と現代の地図を見比べながら説明を聞き終了しました。

写真:10月19日講座開始の様子

写真:10月19日講師説明の様子

写真:10月19日受講生の様子

第2回 11月16日 実施

徳川家康の26歳から47歳までを紐解いていきました。「織田信長との関係」では、朝倉義景征伐での姉川の戦いでは家康が先鋒を熱望したり、本能寺の変における家康との関わりについて確認しました。「豊臣秀吉との関係」では、信長の後継争いの小牧・長久手の戦いにおいて家康軍が優勢であったが、秀吉と織田信雄(信長の次男)との講和により終結したこと、後に秀吉の要求で家康が上洛し、朝廷の官位制度を使い家康を従えたことを学びました。

写真:11月16日講座開始の様子

写真:11月16日講師説明と受講生の様子

第3回 12月21日 実施

1590年から1600年関ケ原前夜までを紐解きました。豊臣秀吉の小田原攻めでは、徳川家康は、北条氏降伏前に秀吉より関東へ移封の命を受け駿河国・三河国などを手放すこととなりました。秀吉は文禄・慶長の役による朝鮮征伐を目指したが失敗し、豊臣政権の内部分裂・主導権争いの中、秀吉は死去します。その後石田三成襲撃事件で家康が仲裁を行い、三成が引退したことで「天下様」と唱えられる存在になったことを学びました。

写真:12月21日受講生の様子

写真:12月21日講師説明の様子

写真:12月21日講座の様子

第4回 1月18日 実施

1600年、石田三成ら西軍と徳川家康ら東軍との「関ケ原の戦い」では、東軍ではなく徳川の勝利と印象づけるため、他の軍を出し抜いて一番手で戦いました。家康は1603年に征夷大将軍となり実質の江戸幕府が始まり、当初は豊臣家との共存共栄を試みました。その後、豊臣家相手に「大坂冬の陣」・「大坂夏の陣」で勝利をおさめ、豊臣家の滅亡と徳川幕府をゆるぎないものにしたことを学びました。

写真:1月18日講座の様子1

写真:1月18日講師説明の様子

写真:1月18日講座の様子2

第5回 2月15日 実施

徳川家康の兄弟と子供たちについて学びました。徳川御三家の義直・頼宣・頼房の名前は、源氏の名前を意識したこと、池田輝政に次女督姫が嫁いだことにより、池田家は後に代々徳川家と遜色ない扱いをされたことなどを学びました。日光東照宮は家康の遺言により造営され、歴代の将軍の社参もあって徳川将軍の権力を可視化する象徴になりました。「東照公遺訓」はいかにして流布されたのかも確認しました。

写真:2月15日講師説明の様子

写真:2月15日受講生の様子

写真:2月15日講座の様子

このページに関するお問い合わせ

生涯学習課(ふぁみりこらぼ内)
〒312-0057 茨城県ひたちなか市石川町11番1号
電話:029-272-6301 ファクス:029-272-9297
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。