市指定建造物

ページID1006212  更新日 2022年1月24日

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18.正徳寺の門(しょうとくじのもん)江戸時代後期

写真:門の正面


もとは安政7年(1860年)2月に水戸藩の典医久保田宗仙の屋敷門として、水戸市三の丸の弘道館脇に建設されたものです。その後、水戸市松本町に移築され、昭和46年に久保田家と有縁者の供養のため、正徳寺に寄進されました。この門は棟門構造で、棟瓦までの高さが3.83m(メートル)、柱間は1.82m(メートル)で瓦葺です。構造材の組み立てには釘を一切使用していない特徴があります。なお、この門は元治甲子の乱(1864年)の際、尊攘派の攻撃により右袖の一部が火災に遭っており、その痕跡を残しています。また、左主柱にはその際に付いたといわれている弾傷も残っており、幕末を伝える貴重な材料ともいえます。

19.山上門(さんじょうもん)江戸時代

写真:下から見た山上門


山上門は、もとは勅使奉迎(ちょくしほうげい)のため水戸藩江戸小石川邸(文京区後楽1丁目)の正面右側に設けられたもので、後に屋敷内の「山上」と呼ばれる場所に移築されたことが名称の由来であるといわれています。この門は、薬医門という形式で、本柱と控柱により支え、その上に切妻の屋根を乗せています。薬医門は城や寺院などの門として用いられています。幕末に水戸藩の果たした役割は大きく、佐久間象山、西郷隆盛、橋本佐内ら諸藩の志士たちもこの門をくぐり、小石川邸に出入りしたと伝えられています。昭和11年に名誉市民の深作貞治(ふかさくていじ)氏が、当時の陸軍省から山上門の払い下げを受け、当地に移築しました。小石川邸の建物のほとんどが失われた現在では、歴史的に重要な価値を持つといえます。

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